itohei.textileはクリエイターとの協業環境の構築を目指します。

プロセスビジュアライズ

織プロセスの情報自体を可視化する

製品生産のプロセスをリアルタイムにオンラインで配信 することで織のスローなプロセス自体を可視化させます。  
 

クリエイターとの協業のための新しいワークフローの構築

Adobe Illustrator、Photoshopを用いたデザイン〜制作作業環境の共有

1995年〜2005年まで京都北大路の大徳寺前に「唐織工房」を開設し能衣裳に用いられる唐織を制作を行っていました。当時は織機を制御するCAMデータの作成には専用機が必要で、パソコン上のグラフィックデザインソフトとの併用による作業でしたが、現在ではデザイナーが日常使用しているAdobe Illustrator、Adobe Photoshopで織物制作のデザイン工程の90%の作業を行うことができるようになり協業がスムーズに行える環境となりました。クリエイターとのコラボレーションにより新しい柄を適量生産できることは力となります。機動力を活かして新しく、且つ創ることを楽しんでもらえる織物制作サービスを目指します。

テキスタイルデザインのノウハウ

Adobe Illstratorを用いた繰り返しパターンの作成とネクタイのデザイン・レイアウト
Illustrator繰り返しパターンの作り方(基礎編)

Illustrator繰り返しパターンの作り方(応用編)

伊藤平の根幹となったデザイナーと織り屋のコラボレーション
若松華瑤と山口茂三郎

父(先代)が若松華瑤と山口茂三郎の共同制作の唐織だけを商うという拘った商売をしておりましたので私は他の帯、他の唐織を見る事なく若松華瑤×山口茂三郎の唐織だけを見て育ちました。私にとっては当たり前のものであったのですが後に知り合ったグラフィックデザイナーに「背筋が震えた」と評価をもらい初めて客観的に若松華瑤×山口茂三郎の作品の素晴らしさを改めて知ることとなりました。

若松華瑤(大原「願原荘」主宰)は伊藤平三の息子で先代六豊の叔父に当たります。西陣の殆ど全ての織屋が若松華瑶の図案を買って帯を作っていたほど若松華瑶は卓越した図案家でした。「意匠に困ったり、デザインが浮かんで来ないなんてことはない」むしろ「次から次へと湧いてくる図案の整理のほうが難儀する」と言い切る天才図案家でした。そして、この図案の天才と一緒に唐織を作ったのがもう一人の天才山口茂三郎氏でした。一般的には若松華瑤の名前だけが出ていることが多いのですが、二人のコラボレーションなくしては若松華瑤の作品は生れることはありませんでした。それまで図案家として図案を作成、販売していた若松華瑶が自らの作品として唐織の制作する際に選んだパートナーが山口茂三郎氏でした。図案家の図案を織物にするためには織物意匠としてのアレンジや配色等図案を織にするための創作が必要で二人の天才のコラボレーションにより若松華瑤×山口茂三郎の唐織作品が生まれました。

【 若松華瑤プロフィール 】
明治28年 京都市に生まれる
明治43年 西陣織物業「山岸重助商店」入社
大正12年 西陣織物業「若松清一商店」開店
昭和5年  第一次能装束研究会を興す
昭和33年 行司装束第1号を制作、木村庄之助氏に贈呈
昭和38年 世阿弥誕生600年を記念して昭和能装束前期50作の制作開始
昭和39年 ニューヨーク世界博覧会に展示出品
昭和41年 昭和能装束後期50作制作開始
昭和42年 昭和能装束前期50作完成、京都市美術館にて展覧
昭和49年 昭和能装束後期50作完成、「昭和能装束百種」完成2月24日一般公開を前に京都市北区の富田病院にて急逝、享年78歳京都市美術館にて「若松華瑤遺作昭和能装束百種展」開催

【 山口茂三郎プロフィール 】
山口成三郎氏は、山口伊太郎、山口安次郎両氏を兄に持つ三男として明治45年5月に生まれ、西陣成逸小学校を卒業の後、昭和18年に織屋として独立し、当初より古代能装束の復元・研究にあたり、昭和30年代より染織図案家若松華瑶とともに昭和の能装束百種(唐織・厚板・狩衣・長絹・舞衣)の内80数点の製織に携わる。
 

 
最新記事

[%title%]

[%category%]
[%article_date_notime_dot%] [%new:New%]