「コラム」カテゴリーアーカイブ

夏座敷

「山も庭も動き入るるや夏座敷」
座敷から見る裏山も庭もみな青々としてまるで、この座敷に溢れ込んでくるような感じがする。松尾芭蕉が奥の細道の旅中、那須の黒羽に門人秋鴉(しゅうあ)を尋ねた際、招いてくれた秋鴉に対する挨拶吟。

夏座敷とは、自然に逆らわず感覚的な涼しさを演出する工夫でできるだけ家具調度を少なくし、部屋の明かりもやや暗めに押さえる。部屋をなるべく広々とさせるのが昔からの夏場のもてなしの秘訣とされています。今でも京都では夏場は縁側の戸や障子をはじめ、部屋のへだての建具をはずし、座敷一面に網代(あじろ)を敷いてひんやりとした雰囲気で客を迎えます。昔は、どこの家でも初夏の大掃除が終わると炬燵を撤去し夏座敷に作り変えたそうです。今ではこのような習慣はなくなってしまいましたがこういう気持ちは大切にしたいものです。

「ハレとケ」

「ハレとケ」とは、柳田國男によって見出された、時間論をともなう日本人の伝統的な世界観のひとつ。
民俗学や文化人類学において「ハレとケ」という場合、ハレ(晴れ、霽れ)は儀礼や祭、年中行事などの「非日常」、ケ(褻)はふだんの生活である「日常」を表している。ハレの場においては、衣食住や振る舞い、言葉遣いなどを、ケとは画然と区別した。

もともとハレとは、折り目・節目を指す概念である。ハレの語源は「晴れ」であり、「晴れの舞台」(=生涯に一度ほどの大事な場面)、「晴れ着」(=折り目・節目の儀礼で着用する衣服)などの言い回しで使用されている。これ対し普段着を「ケ着」といったが明治以降から言葉として使用されなくなった。また、現代では単に天気が良いことを「晴れ」というが、江戸時代までさかのぼると、長雨が続いた後に天気が回復し、晴れ間がさしたような節目に当たる日についてのみ「晴れ」と記した記録がある。
ハレの日には、餅、赤飯、白米、尾頭つきの魚、酒などが飲食されたが、これらはかつて日常的に飲食されたものではなかった。また、そのための器もハレの日用であり、日常的には用いられなかった。(出典;wikipedia)

七夕のこと

七月七日は七夕(たなばた)です。七夕は日本、台湾、中国、韓国、ベトナムにおける節供、節日のひとつ。もともと七夕hお盆行事の一環で精霊棚とその幡(はた)を安置するのが七日の夕方であることから七日の夕で「七夕」と書いてたなばたと発音するようになったとも、中国の行事であったものが奈良時代に伝来し、元から日本にあった棚機津女(たなばたつめ)の伝説と合わさった言葉とも言われています。その他、牽牛織女の二星がそれぞれ耕作と蚕織をつかさどるため、それにちなんだ種物(たなつもの)、機物(はたつもの)という話が「たなばた」の由来とする江戸時代の文献もあります。

こと座の1等星ベガは、中国・日本の七夕伝説では織姫星(織女星)として知られている。織姫は天帝の娘で、機織の上手な働き者の娘であった。夏彦星(彦星、牽牛星)は、わし座のアルタイルである。夏彦もまた働き者であり、天帝は二人の結婚を認めた。めでたく夫婦となったが夫婦生活が楽しく、織姫は機を織らなくなり、夏彦は牛を追わなくなった。このため天帝は怒り、二人を天の川を隔てて引き離したが、年に1度、7月7日だけ天帝は会うことをゆるし、天の川にどこからかやってきたカササギが橋を架けてくれ会うことができた。しかし7月7日に雨が降ると天の川の水かさが増し、織姫は渡ることができず夏彦も彼女に会うことができない。星の逢引であることから、七夕には星あい(星合い、星合)という別名がある。また、この日に降る雨は催涙雨とも呼ばれる。催涙雨は織姫と夏彦が流す涙といわれている。(出典:ウィキペディア)

熨斗の話

贈答品に使われる熨斗
贈答品に使われる熨斗
七月に入ると中元。七月初めから中頃までが一般的なお中元のシーズンです。 お中元には熨斗・水引(みずひき)を印刷した「熨斗紙」が掛けられています。 もともと、熨斗と水引が別々のものなのですが、簡易化され、印刷物となっています。 金封についている熨斗や、のし紙やのし袋に印刷されている熨斗の原形は、白い和紙の上に赤く染めた和紙を重ね合わせ、束ねた伸し鮑を包んで水引で止め結んだもので、祝賀の贈答の際に贈り物に添えて用いられていたものが、後に疑似簡素化したものです。 水引(みずひき)は贈答品や封筒に付けられる飾り紐のことで、室町時代の日明貿易において明からの輸入品の箱全てに赤と白の縄が縛り付けられており、この縄は明側が輸出用の品を他と区別するために目印に過ぎなかったが、日本側がこの縄を贈答に使用する習慣と誤解し、以後の日本で贈答品に赤と白の紐をかけるようになったそうです。 伸し鮑の製法は、貝の鮑をかつら剥きに長く切り伸ばし、生干しにして木槌で叩き伸ばして、藁筵(わらむしろ)の上で天日にさらして乾燥干しにして仕上げたものです。四方を海に囲まれた日本では、昔から海の幸に恵まれ、特に鮑は重要な食物で古来より神事のお供え物として用いられてきました。伸して干した鮑は、栄養価が高く長持ちすることから中世には武家の出陣や帰陣の祝儀に用いられ、戦場の貴重な保存食ともなりました。江戸時代には長生き長持ちの印と重宝がられ、祝事や慶事の儀式に高価な贈答品として用いられるようになり、時代の移り変わりと共に前述の和紙に包んだ「熨斗」を贈答品に添える風習が根付きました。 また、仏事における精進料理では魚などの生臭物が禁じられていますが、仏事でない贈答品においては、精進でないことを示すため、生臭物の代表として熨斗を添えるようになったともされています。

赤富士と紅富士

2013年6月22日カンボジアのプノンペンで開かれているユネスコの世界遺産委員会で富士山を世界文化遺産として登録することが決まりました。

富士山と色の話ということで思いつくのは赤富士(あかふじ)と紅富士(くれないふじ)ではないでしょうか?

赤富士とは主に晩夏から初秋にかけて、早朝に富士山が朝日に染まって起こる現象。青い富士山が朱色に染まることが語源。葛飾北斎の絵が有名です。

紅富士とは冬場から春にかけて、朝日夕日に残雪が紅色に染まることが語源。つまり雪があれば紅富士で、なければ赤富士ということになります。

「紅富士」は「べにふじ」「くれないふじ」が普通ですが両方を「あかふじ」とも読むことがあるようです。

さくらとナデシコ

世界で活躍する日本の色名・・さくら(桜)とナデシコ(撫子)・・と言っても今日は女子スポーツの話です。サッカー女子日本代表「ナデシコジャパン」(国際サッカー連盟ランキング3位)は2011年のワールドカップの活躍で有名ですが、女子ホッケー日本代表「さくらジャパン」(世界ランキング9位)も頑張っています。

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ナデシコジャパンは6月20日のキリンチャレンジカップでニュージーランドと対戦し1:1で引き分け。21日に欧州遠征に出発。さくらジャパンは6月18日のワールドリーグセミファイナル準々決勝でニュージーランドと対戦し1:3で破れましたが、五位決定戦出場を目指します。頑張れニッポン!頑張れさくら、ナデシコ!

守拙〜才に走ることなく愚直に徹すること。東洋の芸術論における根本的な主張。

茶の稽古は茶の点前を繰り返すだけが稽古ではなく、毎日の一挙一動すべてが己を磨く機会。茶の神髄は世俗を離れた別天地にあるものではなく、日常のなにげない行為そのものにあると利休は教えている。

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東洋の芸術論の根本には、巧妙よりも「守拙」を尊ぶ姿勢がある。菜根譚の中で「文は拙をもって進み、道は拙をもって成る。一の拙の地、無限の意味あり」と、洪自誠もいっている。 茶掛の一行物として広く愛用されているものの一つに「守拙全天真」というのがある。清朝の乾隆帝時代の文人・張誠のことば。「拙」とは巧の反対で、愚直稚拙の拙である。つたない。鈍い。愚鈍。つまり「守拙」とは、あくまで愚直に己を飾らず、正直に事にあたることである。小器用な才子は、ある段階まではとんとん拍子に修行も進むが、結局は才に溺れて大成しない。これにひきかえ愚直なものは愚直ゆえに倦むことを知らず、ついには修行をなしとげて「天真を全うす」る。茶湯も、もてなしも、中元の挨拶も、要は「守拙」の姿勢。先走った小細工は、所詮、長くは続かない。(出典:新、懐石サントリー)

中元は健康長寿を祈る吉事盆の儀礼です

中国には古くから正月十五日、七月十五日、十月十五日をそれぞれ、上元、中元、下元と呼び佳節として祝うならわしがあった。その風習が日本に伝えられ、仏教の盂蘭盆会(うらぼんえ)と結びついて、いわいる「お中元」の儀礼が生まれたと言われる。

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そもそもの盆の生身魂(いきみたま)の習俗に浦井する行事である。これは一年間不幸がなかつたことを喜ぶもので生盆(いきぼん)、吉事盆(きちじぼん)とも呼ばれている。例年、旧暦七月八日から十三日の間に、両親や尊者の健康を祝して一族の子女が集まり、持ち寄った食べ物や酒で賀宴を催す・・というのがもともとの趣旨に他ならない。 この吉事盆のならわしが拡大されて、日頃世話になっている人や大切な交際相手に贈り物をする習慣が定着する。この場合もあくまで飲食物をみずから持参し、そこで酒食をともにするのが礼儀であった。やがて「持ち寄る」ことの意味が忘れられ、「贈りとどける」ものに変ったのが今日の中元という慣例である。(出典:新、懐石サントリー)

シテ、ワキ、ツレ

日本の文化、もてなしの心など普段何気なく見過ごしてしまっていることの由来等を調べて書きとめていきます。今回のテーマは日本の「シテ、ワキ、ツレ」です。

シテ、ワキ、ツレ・・本来は能狂言における主役(シテ)、脇役(ワキ)、まとめ役(ツレ)。転じて懐石料理の盛りつけに際しての配分の妙を表す。シテの堂々に対して、ワキは軽々と、そしてツレが全体をまとめる。この配分の妙を得た時本当の美味が生まれる。つまりバランス感かが大切ということ・・日本の美意識の基本として頭の中においておきたい感覚です。(出典:懐石サントリー)