袱紗×バレンタインチョコレート

袱紗×バレンタインチョコ
袱紗や風呂敷で包むことはそのものや相手を大事にする気持ちを表します。ということなら当然バレンタインデーのチョコレートも袱紗で包んで渡すってありじゃないでしょうか?本命にはあなた色の袱紗でチョコを包んで・・・ということでバレンタインデーについて調べてみました。

バレンタインデーとロマンスを関連づけている文書で、現在のところ最古のものと見なされているのはイングランドの詩人ジェフリー・チョーサー(Geoffrey Chaucer, 1343年頃-1400年)のParliament of Foulesと言われています。
日本では女性から男性にチョコレートを贈る日となっていますが、ヨーロッパなどでは、男性も女性も、花やケーキ、カードなど様々な贈り物を、恋人や親しい人に贈ることがある日でカードには、「From Your Valentine」と書いたり、「Be My Valentine.」と書いたりもします。もともとは豊年を祈願する(清めの祭りでもある)ルペルカリア祭の祭りのパートナーを選ぶしきたりが転じて恋愛のパートナーとなりました。

贈り物の種類はさまざまですが、チョコレートも贈る習慣は、19世紀後半のイギリスではじまっています。キャドバリー社の2代目社長リチャード・キャドバリーが1868年に美しい絵のついた贈答用のチョコレートボックスを発売。これに前後して、キャドバリーはハート型のバレンタインキャンディボックスも発売した。これらのチョコレートボックス等がバレンタインデーの恋人などへの贈り物に多く使われるようになり、後に他の地域にこの風習が伝わっていった。英語では固形チョコレートはキャンディの一種として扱われることもあるので、この製品のことを「キャンディボックス」と表記している文献もあります。

元々の起源はローマ帝国時代に遡るものだそうです。・・・・
ローマ帝国時代のローマでは、2月14日は女神ユノの祝日だった。ユノはすべての神の女王であり、家庭と結婚の神でもある。翌2月15日は、豊年を祈願する(清めの祭りでもある)ルペルカリア祭の始まる日であった。当時若い男たちと娘たちは生活が別だった。祭りの前日、娘たちは紙に名前を書いた札を桶の中に入れることになっていた。翌日、男たちは桶から札を1枚ひいた。ひいた男と札の名の娘は、祭りの間パートナーとして一緒にいることと定められていた。そして多くのパートナーたちはそのまま恋に落ち、そして結婚した。マ帝国皇帝クラウディウス2世は、愛する人を故郷に残した兵士がいると士気が下がるという理由で、ローマでの兵士の婚姻を禁止したといわれている。キリスト教司祭だったウァレンティヌス(バレンタイン)は秘密に兵士を結婚させたが、捕らえられ、処刑されたとされる。処刑の日は、ユノの祭日であり、ルペルカリア祭の前日である2月14日があえて選ばれた。ウァレンティヌスはルペルカリア祭に捧げる生贄とされたという。このためキリスト教徒にとっても、この日は祭日となり、恋人たちの日となったというのが一般論である。(出典:Wikipedia)